アニメ涼宮ハルヒの憂鬱12話と原作の違い

ハルヒが楽譜を見なかったり、観客にすぐに受け入れられてしまうことにどうしても納得がいかなかったのですが、アニメがハルヒの唄のプロモーションをやろうとしたのに対し、原作では代役を務めた元のメンバーのバンドの宣伝を結果的に上手くこなしたって考えればいい気がします。


原作では昨日も言ったとおり、バニーで楽譜見て、結果的に音を僅かに外すことによって、代役を完璧にこなしすぎずに本来のバンドの期待をあおっているのに対し、アニメではハルヒ自身が上手くやりすぎています。
視聴者の観点ではなく、本来のバンドメンバーや、観客の観点から考えると、アニメの方が代役としては上手くいっていません。観客がMDをもらいに来た理由が、原作だと本来のバンドの演奏を聴きたいからに対して、アニメだとハルヒの歌が良かったからになってしまうからです。そのため、ハルヒの唄が主になって、本来のバンドの演奏というのは従になってしまうのですが、その辺がアニメ化による「ハルヒの唄」のプロモーションの影響かなと。アニメでやりたいのは、本来のバンドの宣伝ではなく、「ハルヒの唄」の宣伝です。だから、ハルヒを引き立て役にすることができません。
でも、そこでハルヒを主にしてしまうにしてしまうことは、それによって「ハルヒがそう望んだから」という疑いを招くことになりますし、SOS団団長と言って主人公たろうとするハルヒが、自分が主人公ではない、誰かの代役をこなしたっていう原作の良さが打ち消されてしまうように思います。


あと、付け加えておくと、原作だと「今自分は何かをやってるっていう感じがした」の後に、「だから、あのケガした人も実行委員に最後まで粘ってたのね」っていうのがあるんですが、これによって大きくニュアンスが変わると思います。このセリフによって、「何かをやってるっていう感じ」が、バンドメンバーに対するハルヒの共感になっているので。自己中なハルヒが他人に共感してるっていうのが原作だと思うので、ここも主としているものが変わっているかなと思います。