再解釈としての最果てのイマ

id:crow_henmiさんの記事を見ての思いつき。思いつきなので結構突っ込みどころが多そうですけど。


本当の真相自身には届かない理由は、物語の再解釈が行われているためだと言えないかなと思いました。


再解釈について、一番顕著なのはイマの

イマ
「だから、戦争について終わってしまったことのよ
 うに、感じていた」
イマ
「だけどそれは追想の中での主観。実際の歴史にお
 いて、あなたはもう少し別種の悩みを抱いていた」

(……別の悩み?)
イマ
「わかるでしょう。模倣子による全人類支配」

という台詞ですが、ゲーム段階では実際に起こった*1出来事を再体験しているのですが、それに関して今の自分が読み直すことにより、別種の出来事として受け取っています。そのため、ゲームでの経験は、本当に忍が経験したことではないというよりは、むしろ過去に忍が経験した記憶を下敷きとした新しい出来事として読み直しているということも可能なのではないかなと。

イマ
「だけどあなたは、あの瞬間……
 本当に全てを肯定してしまった」

イマ
追想でも、現実でも、同じ決意に降り立った」

っていうセリフもありますし。


また、忍は戦争後の現実を戦争前として読み替えているのですが、戦争前の記憶も混在されることにより、読み替えているということは分かり辛くなっています。ある意味では、戦争前の記憶は戦争後のできごとを戦争前と読み替えるために使われているとも言えます。



まあ、そんなこともあって、ゲームで語られる戦争前もしくは戦争編のできごとって、読み返されることにより何らかの意味が付加されている、あるいは元のものから変質しているように思えるんですよね。だからその分、その事実性は犠牲にされてるのかなとか。

*1:とりあえずこういう表現で。忍が見ているのはイマによるもので正確なものではないということはとりあえずここでは置いときます