鎖―クサリー

クリアしたんで適当に思ったことを
以下ネタばれします


感想とかいろいろ見てきましたけど、個人的に一番しっくり来たのは、臥猫堂さんhttp://homepage2.nifty.com/nori321/diary/0510.html#10
です


特に、

個人と社会の関係とか考えるのでなく、個人と複数の個人の関係というように考えた方がすっきりするのかな

のくだり 
ビデオをばら撒くことや、恭介をわざと自分に刃向ってくるように仕向けること、恭介のいう家族という概念などが個人と個人の関係に当たるんじゃないかなと思いました


ビデオをばら撒くことは上記で書かれているので省略するとして、まず、恭介が歯向かってくる方は、自分にも制御しきれるか分からない不確定要素を入れることにより、孤独から逃れるということなのだと思います
自分にとって脅威となるかもしれない恭介や恵を殺せば、後は何もかもが上手くいきます
この場合その上手くいくというのが問題であって、自分のしたいことがそのままできてしまうということは不確定性のなさ、他者性のなさです
やる前から決まりきっていることをやるのは、自分一人でいることとなんら変わりはありません
だからこそ、自分の予想を外されること、それによって自分が危機になることを喜びさえする訳です
その意味で、岸田は他者がいなくてはできないことを求めていると言えます


恭介のいう家族という概念は、最も基本的な単位としてのものという意図があったと思います
岸田が何万年も前から人類は殺しあってきたとか、生物として〜とかしばしば言っていましたが、船内という社会から離れ、限られた空間のため強調されるプリミティブな関係ってところではないかと


恵やちはやなどでは社会という言葉のイメージがありますが、恵シナリオでの社会が悪意を向けてくることや、ちはやシナリオでの許されない関係は、社会という集団性よりもそういった意識を持った人が集まっていると考えた方がいいのかもしれません
恵は自分が人を殺したということを恭介くらいにしか言っていないし、ちはやは社会というより、むしろ二人以外の船員を対象としていましたし


鎖に明確なエンドはありませんが、ただ個人の欲望により相手を抑えようとし、結果的に恵と敵対するという、それこそ岸田が言っていたような、

これは戦争なんだよ、個人と個人のな

という関係を持って終わる明乃エンドがこの作品を終えるのに相応しいかなと思いました
(まあ、明乃に勝ち目なんかないわけですけどね)