SWAN SONG 感想

クリアーしました


もう一回やり直す前に、エンディングと佐々柚香あたりについて、CARNIVALのネタばれもありで書いときます


疲れきってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気とか希望とか自分を守ってくれるものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面が過ぎても生活は続いてしまう。けして止まらない。
そこからが本当に人間が生きるということなのだろうと、最近は思ったりする
                            (小説版 CARNIVAL)


SWAN SONGも絶望を直視しながらも、それでも生きることを描いた作品だと思います


司の突然の事故によってピアノを弾けなくなったこと、司の父親が音楽に踏みにじられること、敵味方関係なく近くにいる人と殺しあうようなどうしようもなく凄惨な状況、無慈悲に襲い掛かってくる災害
どうしようもないような状況の中で、それでも小さいころの司も、今の司もそんなものに絶対負けるものかと言い、そういった不条理に屈せようとせず、
雲雀はあんな状況に直面しながらも、あたしは大丈夫。あそこからまたはじめたいんだと言い、
拓馬は自分に言い訳せねばならないほどに、最後まで自分のしていることに対して苦しみ続けます


それに対して、柚香だけは絶望を見るのを拒絶しています
学校で、司と拓馬が争っているのを目の前にして、

目を瞑り、二人を視界から消しました
とても見ていられる気分じゃありませんでした
それも、二人の様子が凄惨だからではなく、自分の汚い心から、目を背けたかっただけなのだと思います

と言います


そして、教会で柚香にたいして司は、

何もわからないことなんか最初から承知の上です
何で今更、そんなの気にするんですか?

と言い、
その後柚香が、司が生き残れないのに幸せになれるわけないと言うのに対し、
それは別の問題だと言います


これは、何もわからないということや、司が生き残れないという絶望があるから生きていけないのではなく、そういった絶望があったとしても、それでも生きていくことの素晴らしさ、その絶望の上での希望を見てほしいというなのではないかと思うのです


だからこそ、柚香が最後まで生き残るのだと思います
普通は正しい人間が生き残りますが、この物語は正しくない人にこそ、まだ生き残ること、そこにまでたどり着くことを望んでいる、祈っているのではないでしょうか?


ハッピーエンドは僕もちょっと蛇足か?と思いましたが、あの醜いものを覆い隠す雪、というものは柚香というキャラクターの内面をあらわしているのだと思います
彼女は今まで見ることを恐れるあまり、自分の中の醜いものを雪で覆い隠し、見ないようにしながら生きてきたのでしょう

世の中には見ないほうが良いものや、知ってしまったらどうにもならなくなるものだってあるの。
(中略)
それなら最初から優しくないほうが、まだ怖くないでしょ。
光が全てを見せてしまうのが怖い、優しくされてしまうのが怖い、そう思ってしまうことだってあるの。


エンド時の司を見るに、そんな彼に影響されて、彼女はこれから、この作品に描かれたそれ以降を雪の解けた醜いものが見えてしまう世界で、その中での希望によって生きていってくれるのではないか、
という希望を持ちたくなります


白鳥は最後の一声だけ綺麗な声で鳴くという言い伝えがあったとしても、結局白鳥は綺麗な声で鳴くことはできない
それでも、それが嘘だと知っていたとしても、その言い伝えに込められた思いがその鳴き声の醜ささえ美しく輝かせるという、醜いものの中にこそ美しさを見出すこと


僕は、この白鳥の伝説に込められたような美しいものをこの物語で見ることができたと思います