先生はえらい 内田樹(ISBN:4480687025)

はてな年間100冊読書クラブ 017
この本は、先生はえらいという題名ではありますけど、学校の先生がどうのと言う話ではなく、自分が学ぶと言うことに必要な存在としての先生についての話と、コミュニケーションと誤解についての話です
内容としては、


コミュニケーションと言うのはそもそも誤解に基づくものである
もし、仮にコミュニケーションに誤解する余地がなかったら、コミュニケーションというものはそこで途絶えてしまう
何故なら、それはもう伝わってしまったからだ
しかし自分が理解したと思いコミュニケーションがそこで終わったとすると、その理解が間違っていた場合にはそれに気づくことはない
そのため、すぐに相手が理解したと思われないようにするための、ある程度の多様性、「誤解の幅」によって分かりにくくすると言うことと、大きな誤解にならないようにするための「訂正への道」が必要である


そして、そういったことを踏まえた上でのよい文章とは、相手に完全に理解されないまでも、それが理解に近づくようにする文章である
読み手が積極的にそれを意味をとろうとして「誤解」しなければ、その文章に意味はない
文章はあくまで相手に読まれ誤解されるものであり、それでよいのだけれど、その一方で自分の意も汲んで欲しいということで「訂正への道」を用意する


という感じで人は誤解するからこそ、そこから何かを学び、先生はえらいと思うという流れになって行きます
ネットの文章とかも同じだと思うんですよね


例えば本の感想などで、「面白かった」とか「つまらなかった」だけで終わってしまうと、あまりに簡単なので、もうそれ以上コミュニケーションは成立しない
つまり誤解は成り立たない
それに対し、いろいろなことについて感想を書くと、その人がどんな感想を抱いたかということに読み手の誤解の余地がある


ある人の文章を初めて見た場合は、その文章に対して誤解しやすい
でもその人の文章を読んでいくにつれ、その人のことがある程度分かってくるため、「訂正への道」が用意されることとなる


そして、この両方のことによって読み手が学び、書き手をえらいと思うことができるということですね


この感想自体が誤解されやすい文章になってしまった気がしますが…