AIR 美凪シナリオ

リプレイでクリアしたのですが、やはり「夢」と言うモチーフが、印象的でした。


夢での体験そのものは否定してないんですよね。
美凪はみちるという夢によって救われたことは間違いないのだし、その夢での体験を元にして前へと踏み出していくことができるようになる。
だから、この物語は心が傷ついて逃避してしまった人の、現実へ帰還するためのリハビリテーションとでもいうか、弱い人のための物語じゃないかな、と。
(弱い人というのは、否定する意図は全くありません。
どんな厳しい現実でも、傷つくことなく、気にせず突き進んでいける人が強い人、という意味との対比としてのものです)


夢を見てしまうということそのものは否定されていないということは、挫折して飛べなくなってしまうこと、一時的に逃避してしまうことそのものは、否定されるものではないということ。

夢の向こうに、大切なものを置いてきたから…。
忘れてきたのではなく、置いてきただけだから…

大切なものを置いてきてしまった事は悪いことではない。
忘れてきてしまうことが悪いのであって、それをこれから拾いにいくのだから。


そして、夢はいつか終わってしまうもの。

…でも…別れはいつもそこにあって…
俺たちはそれを見つめることしかできなくて…
寂しいけれど…
出会いと別れを繰り返していくことでしか…
ひとは生きていけなくて…


Kanonのテーマは、現実の受容と克服というのを見た気がしますが、key作品には真理とでもいうべき「強いもの」がある気がします。


いつまでも変わることのない永遠なんてないし、時間は流れていってどんなものでも変わっていってしまう。
観鈴シナリオでは、運命とでも言うべき大きな流れに対して、人はあまりに無力であり、美凪シナリオでは、夢という優しさはいつまでも続くものではない。

だから、美凪の夢を覚ましてあげて…。
そうしないと、誰も前にはすすめなくなってしまうから…。

人は人以上であることはできない。
だからこそ、そういったものを受け入れなくてはならない。


そして、

振り返ることもあるけれど…。
迷いから、過ぎ去った日を懐かしむこともあるけれど…。
踏み出す足先は、いつも明日へ。
愛おしい過去の思い出を糧に、俺たちは明日を目指して…。


辛いことがあって挫折してしまうという弱さを許容する一方で、いつまでも幸せな夢の中でまどろみ続ける甘えは許さない。
他人にできることは背中をちょっと押してあげることだけで、自分で踏み出していかねばならない。
でも、その背中を押すという行為こそが前へ進むことへの力となる。
っていう優しさとある種の厳しさが同居したような感覚が、僕は非常にすごいなと思います