CARNIVAL
- 作者: S.M.L,瀬戸口廉也,川原誠
- 出版社/メーカー: キルタイムコミュニケーション
- 発売日: 2004/12/01
- メディア: 単行本
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そのため、この小説を読んではっきり言ってかなり困惑したというか、混乱したというか
学に一番感情移入していたため、あのエンドはなかなか受け入れがたかった
が、時間が少し経つと、もう少し冷静になれた
この結末になったのは、誰もが悪いのだけれど、みんな最善を尽くしたのだから悪いことではないのだと
とはいえやはり、学や理紗の姿勢には
ああ…こうなるしかなかったんだな…
としか思えないようなことがある
CHAPTER5で学は、妄想の相手ですら自分を責める資格があると言い、洋一に対しても自分が何もしなければ良かったということを言う
ここに自分の優先度はやはり存在しない
原作でも、いくら母親に虐待されようとも自分が悪いからだと思い込もうとしていた時と、何も変わっていないと言ってもいい
理紗は、ほとんど学に頼り切りだったし、学もそれに乗っていた
まさしくそれは、理沙のために神になったのだろう
そして自分のことを省みなかった学に限界が訪れた
そこに至って始めて、理沙は本当の意味で自分で動くことができるようになるのだが、やはり辛い
限界まで生きた学を褒めてあげたいとは思うけれど、泉ルートの方が彼としては幸せになれたのではないかと疑ってしまう、
泉ルートでは、理沙との時のような気負いや責任はなく初めて人生を楽しんでいた
理沙や武のことも確かにあるのだが、学本人のことを考えるとこちらのほうが良かったのではないかとも思う
この作品って、CLANNADとは逆なんじゃないか、という意見を見たけど僕はそうじゃなくて核は同じだと思う
結局の所、両作品とも人の力を信じているのだ
ゲームのほうで、理沙が
「そんなに簡単に許されていいのか?」
という神という絶対的なものへの懐疑があり、
泉の
「そんなに人間は無力なんですか」
みたいな科白もある
これは、人の力を信じているからこそのことだ
世界は人を愛していない
ゲームのほうでは、
自分の家族と言う、一番プリミティブな世界で、虐待された学と理沙
学のことを憎いだけではないのに虐待してしまった学の母親
大人になることさえ出来なかった武
小説の方では
自分が不幸だと言うことさえ知らないサオリ
一時の嫉妬のために、七年間も苦しむことになった詠美
そして、七年間の逃亡生活という過酷な物しか与えられなかった理沙
限界を迎えた学
彼らは、どこまでも世界に愛されてはいない
それでも、彼らは愛する
世界は残酷で恐ろしいものかもしれないけれど、とても美しい
思えば、そんなこと、僕らは最初から知っていた筈なのだ
理沙を最後に変えることが出来たのは学の思いだ
洋一とサオリを救ったのもお互いの思いだろう
CLANNADは、現実の理不尽、困難に対する人間の意思を扱っており、CARNIVALは人間の善意だけではない醜い部分まで扱い、その上でそれでもなお人を信じる、と言うことを描いた
そういった意味で、ここまでやったのは本当にすごい