キラ☆キラ きらりエンド2

ネタばれです。

あのね、世界には、絶対的に何かが足りないんだよ!みんなが、全員が幸福になるための、何かが足りないの!その足りないってことが作り上げた悲しみだとか苦しみが、別のつらいことの原因になってるんだよ!


きらりエンド2を終えた後に、凄く納得がいかない感が残ってて、ずっと考えてたんですが、このシナリオってきらりエンド1の裏写しであるとともに、上のセリフを体現しているシナリオだからではないかと思いました。


このシナリオでの嫌な感じがする所の一つとして、鹿之助がおとなしくなってしまっているということがあるんですが、これって、鹿之助がきらりに守ってもらう存在になってしまったからではないかと思います。きらりに自分のしたことを話し、許してもらう事によって、きらりと対等たる可能性を失ってしまったと。
エピローグでバンドをやったところで、村上に「お前やっぱりギターよりベースのほうが良いよ」と言われているんですけど、鹿之助はギターの方が伴奏に向いているからそうはいかないと、ギターを弾く理由について語ります。この辺り、鹿之助というパーソナリティではなく、きらりの付き添いであることを優先しているように見えます。


また、こちらのシナリオでは、きらりエンド1で千絵姉が言ったような「青春時代」を鹿之助が終えてしまったという感じが強くします。エピローグの就職や、「あの頃」という写真など。ロックは反抗する事だとか最初の頃言ってましたけど、この作品の青春時代って、その色彩があると思います。きらりエンド1だと「キラキラしたもの」をそれでもまだ追い求めていましたけど、こちらはそれを諦めてしまったように見えます。そしてそれは、自分がそういったものの所まで行きたいという意思を諦めてしまった一種の諦観です。
もちろん、それは一つの選択で、いいとか悪いとかそういう問題ではなくて、きらりエンド1で千絵姉や紗理奈はそれを受け止めた上で青春時代を終わらして、踏み出しているのですが、彼女たちは正しいと思います。


でも、鹿之助の場合には、上で言ったように、彼自身を損なっているという気がするんですよね。そして、きらり自身のパーソナリティも。
きらりは、鹿之助が彼女の親を見殺しにした事を知って、皆のために歌う事を決意します。本当は、周りと上手く馴染んだ優しい人になりたいと思っていたのに。
彼女をそう決断させたのは、最初に引用した「世界には、絶対的に何かが足りない」という認識です。自分には、自分自身である事を優先させるよりも、その事で苦しんでいる人たちに対する「義務」に応えねばならないという意識から、みんなのために歌う事を選んだのだと思います。


それで、最終的にこの形に至ったのって、やっぱり「世界には、絶対的に何かが足りない」からだと思うんですよね。鹿之助がきらりの父親を見捨てた*1ときに、どちらを選んでも悪いものにしかならないと言っていたのですが、この認識が理由だと思います。これがなければ、多分きらりの父親は自分の意思を自分でどうにかできたり、あるいはもっと前から上手くやる事ができただろうし、きらりも、みんなのきらりではない、個人としてのきらりであれただろうと思います。
だから、このエンドって、ハッピーでもバッドでもなく、ただ、そういうものだという気がするんですよね。千絵姉シナリオの言葉を使えば、どんな場所にだって楽しい事はあるのだし、きらりは生きているし、一つの在り方ではあるとは思うのですが。

*1:というのは正確ではないんですが