ドッペルゲンガーの恋人 唐辺 葉介

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)

僕ももう三十になったし、そろそろ田舎の祖父の布団のなかで嗅いだ懐かしい香りも漂いはじめるのだろう。加齢臭というものは、そんなに悪いものではないと思うのだが、この意見は世間ではあまり賛同を得られていない。


内容をとばして、きまぐれさんの感想に反応。*1
僕が読む限りでは、夢は「おそらく主人公が「良心」に目覚めつつあるってこと?」ではなく、オリジナルとクローンは違うということだと思います。
この物語では慧とユリを明確に分けています。展開としても登場人物の意見としても。オリジナルとクローンの主人公を同一人物として置いた上で、「主人公の意識がヒロインをひたすら侵食するだけの物語」*2とするならば、ユリを慧として、主人公が付き合うのがもともとの彼の望みであり、正しくなりますが、そうはなっていないです。そもそもこの作品のクローン技術の紹介として出てくるボノボ、メイとサツキも花を愛するか否かということによって同じでないと描写されています。
ボノボの例以外にもオリジナルとクローンはそれぞれ異なった描かれ方をします。クローン側としては主人公の最初の「恋人」がクローンであったから美しい、ナグモさんが潔癖症、クローンとなる際の若返りなど。オリジナル側としては冒頭に引いた主人公のセリフを対比することが出来るかと。
意見としては、ユリの発言以外に先生のも参考になるかと。先生が自分が何かあった際に、データと体細胞を破棄するように言っているというのもそのように思えるんですよね。クローンは元は自分の精神ではあるけれども、その意見を聞くのは「自分」ではないという意図ではないかなと。だから、「オリジナルたる自分」が死んでいる場合にはそもそもクローンを生み出す意味がないという。


それで、最終的にクローンというのは人形のような衛生的、完全な、死のない世界を作るけれど、他でもない「その人」が死ぬことから逃れることは出来ないという事実を描写しているのが最後の夢ではないかと思います。最初に引いたように、「オリジナル」であれば、年をとって変わっていくことを悪く思わないと思うので。
相変わらず変な作品を書くなあという感じです。凄く面白かったですけど。